佐々木朗希投手の高校時代の国保監督、決勝で登板させなかった理由?

ロッテの佐々木朗希投手が、

自己最速164キロを計測したと

話題になっていました。

これから活躍が期待される

佐々木投手について

ネットで調べました。

佐々木朗希投手のプロフィール

出身地 岩手
生年月日(満年齢)2001年11月3日(20歳)
身長 190cm
体重 85kg
血液型 O
投打 右投げ右打ち
ドラフト年(順位)2019年(1位)
プロ通算年3年
経歴 大船渡高-ロッテ
引用元 sportsナビ

陸前高田市立高田小学校3年生の時、地元の高田スポーツ少年団で野球を始める。2011年3月11日の東日本大震災の津波で父と祖父母を亡くし、実家も流されたため、4年生時に大船渡市に移り住み、大船渡市立猪川小学校に転校し、地元の軟式少年野球団「猪川野球クラブ」に入部。2013年12月7日には、後に入団する千葉ロッテマリーンズの本拠地・QVCマリンフィールドで開催された、岩手三陸沿岸の少年野球チームによる大会「リアスリーグ」の決勝戦に出場した。
引用元 Wikipedi

佐々木投手は

2011年3月11日の東日本大震災の津波の

被害にあっていたんですね。

佐々木朗希投手の高校時代の活躍

地元で甲子園を目指したいという思いから県立大船渡高校に進学する。1年夏の県大会で公式戦デビューを果たし、147km/hを計測。同大会はこの1試合の登板のみでチームは3回戦で敗退した[12]。2年夏の県大会では初戦に154km/hを計測したが、外野手として出場した3回戦の西和賀戦でチームは敗退。2年秋の県大会では高校2年生史上最速タイとなる157km/hを計測した。

2019年4月6日、佐々木は高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、球場の表示ではなく非公式ながら中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで163km/hを計測したとされているが、これは大谷翔平が持っていた当時の高校生最速記録である160km/hを3km/h上回るものだった。このように速球で大きな注目を集めた佐々木は『令和の怪物』と称され、また奥川恭伸・西純矢・及川雅貴と共に、この年の『高校BIG4』と呼ばれた。

3年夏の県大会ではエース兼4番打者を務め、4回戦の盛岡四戦では公式戦での高校生投手史上最速タイとなる160km/hを計測した。選抜大会出場の盛岡大附を破った一関工業に準決勝で完封勝ちを収め、チームは決勝へ進出。7月25日に行われた花巻東との決勝戦では國保陽平監督が「故障予防のため」という理由で投手・打者とも佐々木を出場回避させ、チームも敗れた。これに対して佐々木の大船渡高校には苦情の電話が殺到し、野球関係者や評論家の間でも議論となり、メディアでも取り上げられるほど社会問題となった(詳細後述)。2019年8月にはU-18代表に選出されたものの、大会前に右手の中指に肉刺(まめ)ができたため、登板したのは対韓国代表戦の1イニングにとどまった。引用元 Wikipedi

佐々木投手は

甲子園には出ていないんですね。

国保監督が決勝で登板させなかった理由

第101回全国高校野球選手権岩手大会

大船渡のエース佐々木朗希投手が

準決勝で完封勝利を収め、

いよいよあと一勝で甲子園という

強豪の花巻東との決勝戦。

佐々木投手は最後まで、マウンドに立たなかったそうです。

その理由はなんだったのでしょうか。

決勝での登板回避を決断したのは国保陽平監督。試合終了直後、ベンチ前で報道陣に対し、開口一番「投げられる状態ではあったかもしれないが、私が判断した。(理由は)故障を防ぐためです」と説明。引用元 jiji.COM

国保監督は、「故障の予防」のためと

説明したそうです。

応援していたファンは納得できず

苦情電話も殺到し社会問題にもなったそうです。

「故障を防ぐためです。連投で、暑いこともあって。投げたら壊れる、投げても壊れないというのは未来なので知ることはできないんですけど、勝てば甲子園という素晴らしい舞台が待っているのはわかっていたんですけど、決勝という重圧のかかる場面で、3年間の中で一番壊れる可能性が高いのかなと思いました。投げなさいと言ったら投げたと思うのですが、私には決断できませんでした」

前日の準決勝前に医療スタッフに右肘の違和感を訴えていたという情報もあるが、この時はその上で129球の完投をさせた。そして決勝の朝は筋肉が張ってはいたが、投げられる状態にはあったという。

 つまり、甲子園に出る確率を下げてでも、ひとつの才能を守ることを選んだ。目の前の一瞬よりも未来を選んだ。さらば甲子園至上主義。そういう決断である。

甲子園のスケジュールは、

プロではありえないような

過酷なスケジュールですし、

夏の炎天下ということもあり

選手の身体を一番に考えた

監督の説明にも納得ができます。

一方、応援してきたファンの方や

実際に試合に出ているメンバーや

登板できなかった佐々木投手は

どんな気持ちだったのでしょうか。

そもそも佐々木は「この仲間と甲子園に行きたい」という理由で強豪私立の誘いを断って、地元の県立校に進んだ。その佐々木と、彼と一緒に甲子園を目指そうと集まった仲間たち。彼らが納得していれば、もはや外野がとやかくいう問題ではない。この決勝は、汗を流してここまでたどり着いた彼らのものなのだから。
だが試合後、佐々木の表情は神妙だった。
登板しなかったことについてどう思うか。
そう問われると、およそ8秒間沈黙した後に「監督の判断なので……」と声を絞り出した。
投げられる感覚はあったのか、という問いには「はい」と答えている。

引用元 Numberweb
8秒の沈黙

高校生にこの質問は酷な気がしますが

でも「投げたかった」「投げられた」とは

自分から言わない

必要最低限だけ答えている佐々木投手

かっこいいと思います。

そしてこの温存策には、もう1つの意味がありました。「大船渡は、佐々木が投げて打つだけのワンマンチームにはしない」という方針です。

今年(2019年)5月の春季岩手大会1回戦で、国保監督は佐々木ではなく、控え投手の和田吟太を先発で起用。佐々木は打者で出場しました。途中、佐々木に切り替える機会が何度もありながら国保監督はあえて見送り、その結果チームはサヨナラ負け……。

批判も浴びた国保監督ですが「誰が出ても勝てるチームを作りたい」という意志を貫いたのは、それが佐々木の負担を減らすことにもつながるからでした。

佐々木投手を登板させなかった

もう一つの理由は

全員野球だったんですね。

実際、佐々木投手は

準々決勝ではベンチスタート、

同点に追いつかれても佐々木投手を

温存してサヨナラ勝ちしています。

24日の準決勝は4回戦194の熱投から

中2日空けて先発で出場。

9回129球を投げ2安打3四球完封しています。

参考元 日刊スポーツ
佐々木投手は甲子園には

行けませんでしたが

現在プロとして活躍されています。

決勝で登板していたら、

どうなっていたかは誰もわかりません。

Twitterでは肯定的な意見も

見かけます。


今年のプロ野球も開幕し

佐々木投手の活躍から

目が離せませんね。

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